peace peace peace

peace3126.exblog.jp

ブログ はじめました。

b0155370_1511751.jpg

五周年を目前に控え、思い切って長い夏休みをいただきました。
その成果の一つがこのブログです。

写真撮影をしてくださったお客様、ブログを立ち上げてくださったお客様、いつもピースを応援してくれているお客様、ありがとうございます。
[PR]
# by peace3126 | 2008-08-15 17:05 | 日記(日々更新)

INFORMATION 4

ピース ピース ピース                   
                                 INFORMATION
                              
 
お菓子作りのきっかけ・・・小学校6年生の時、友達の誕生日会に呼んでもらいました。「お母ちゃんがケーキを作るから来てや。」と...家でケーキを作ることができるなんて、その頃の私には想像のできないことでした。ケーキ店のショーケースに並ぶ[モンブラン]を見て、「やきそばの載ったケーキなんて、誰が買うんやろ?」と小学低学年まで思っていたぐらい、ケーキなどと言うものには、縁の無い環境でした。
いざ、誕生日会へ...大きなテーブルにご馳走がびっしりと並んでいました。しかし、一番のお目当てのケーキは、なんとも地味なマーブルケーキだったのです。天まで届くようなクリームの山を想像していた私は、ガッカリ...しかし、食べてみるとその味は、例えようが無い美味しさだったのです。
その後もその友達の家には、度々遊びに行き、おばちゃんの手料理をご馳走になりました。「これさえあれば、なんでもできるのよ。鶏の脚も焼けるのよ。」おばちゃんは、オーブンを指差してそう言いました。まさに、魔法の扉でした。「私も欲しい。」そう思いながら、家にあるオーブントースターで、ミックス粉を使ってクッキーを焼いたりしていました。
高校生になり、アルバイトして念願のガスオーブンを買いました。今から25年程前のことです。(当時9万円)暫くは熱中したものの、冷めたり、離れたりしながら、卒業後はお菓子とは無縁の仕事に就きました。
子供を持ち、日々追い立てられるような生活を送りながらも、お菓子とパンを作ることが、徐々に私の生活に組み込まれていきました。
数年前、定年間近のおばちゃんから「定年したら、パン作りを教えて欲しいのよ。」と、言われました。私が、おばちゃんに教えるなんて...この人も、私の「いつまで経っても追いつけない人」です。
お子様連れのお客さまから、「この子、ここのパンが大好きなんですよ。」とか、言っていただいた時は、最高にうれしいです。私が、あの日のマーブルケーキから受けた衝撃には、程遠いだろうけど...


  
[PR]
# by peace3126 | 2008-08-15 16:33 | INFORMATION(伝えたいこと)

INFORMATION 3

ピース ピース ピース                   
                               INFORMATION
                              

私に、コーヒー豆の焙煎を教えてくれた人...当時、おじさんは70歳でした。私は、「70歳まで現役で働くなんてすごいなぁ…」と思っていました。でも、おじさんは、80歳を過ぎた今も現役で毎日働いています。
長身で足が長く、ハンチング帽を被り、赤のチェックのシャツとチノパン、パイプを銜え、ロッキングチェアーに座り...なんとも絵になるのです。
私は、この店を始めてもうすぐ4年ですが、毎日店を開けることのが、これほど大変だとは思いませんでした。肉体的な面、精神的な面...暇な日が続いた日は、店を開けることが怖くなります。おじさんはもう50年間も店を開け続けています。おじさんが、コーヒー豆の焙煎を始めた頃は今のように、コーヒーを飲む習慣はあまりなかった頃です。「コーヒーよりうどんの方がいい。」とよく言われたそうです。その頃から50年もおじさんは毎日店を開け続けています。「すごい」の一言に尽きます。
毎日店を開けることもさる事ながら、50年間も同じ仕事に情熱を持ち続けることもすごい事です。ある時、おじさんが大声で「こ、こ、こ、こ、これ見てみっ!」と、興奮しながら私を呼ぶのです。(おじさんは、興奮すると吃音気味になるのです。)おじさんが握った掌を開くとその中にはコーヒー豆があったのですが、右手と左手の豆が微妙に違うのです。「こ、こ、こっちの方が膨らみがいいやろ!」 おじさんは、40年経ってもより良く豆を煎る方法を模索していました。私は、40年、50年と毎日店を開け続け、情熱を持ち続けることができるだろうか?...ついつい惰性になりがちな時があります。
私は最近、焙煎をしながら「こんな時、おじさんはどうするやろ?」「なんで、もっとちゃんと教えてもらっとかなかったんやろ?」と思うことがよくあります。でも、あの頃きいてもきっと解らなかったのだと思います。今、ほんの少しだけおじさんに近づけたから、いろんなことが解るようになり、焙煎の難しさを感じているのだと思います。
いつまでも元気で、焙煎をして、店を開け続けて欲しい。いつまで経っても追いつけない人がいるから、私も毎日店を開けることができるのです。 
                       
  
[PR]
# by peace3126 | 2008-08-15 16:31 | INFORMATION(伝えたいこと)

INFORMATION 2

ピース ピース ピース                   INFORMATION
                                  
 桜の花が散り、あちこちで鮮やかな新緑を見る頃、空にツバメを見かけるようになります。風に乗り、飛行する姿は、圧巻です。

 娘がまだ保育園に通っている頃、帰りに近所のスーパーに寄って、夕飯の材料を買うのが日課でした。娘は買うお菓子を決めていて、必ずスーパーの中まで着いて来るのですが、ツバメがスーパーの軒に巣を作り出し、子育てを始めると、それを見たいために、私が買い物を終えるまで外で待っていました。
 ある日、いつものように、買い物を終え、外に出ると、娘がおもしろい事を言うのです。
  娘 「今、おっちゃんが、おばちゃんに怒られてはってん。「お父さん、子供がオナカ空
かせて泣いてるのに、何処、行ってたん。夕方の忙しい時間に…」って」
  私 「それ、何処のおっちゃんとおばちゃんのはなし?」
  娘 「あそこ…」
 娘の指さす先には、ツバメの巣が…ツバメの夫婦が忙しそうに、大きな口を開け、泣く雛にエサを運んでいました。  

 小学校に入学した後も、娘の帰宅を家で待っていると、遠くから「ママーッ」と叫ぶ声が
します。泣きながら走って来る娘の手のひらにはティッシュペーパーが大切そうにのっています。「ママ、助けて!今まで動いてたのに…」ティッシュペーパーには死んだ鳥が包まれていました。
 本当に今、死んだばかりという感じの時もあれば、死んでから、かなり時間が経っているような感じのカチカチに硬直した鳥の時もありました。
 「この鳥どこに落ちてたの?」と私がきくと、娘は必ず「ピーピー、って聞こえたから、見たら落ちてた。」と答えます。カチカチになった鳥の時も…
 
 幼かった娘には、本当に鳥の声が聞こえたのでしょう。以前<子供には、自然の声が聞こえる。しかし、小学5年生ぐらいを境に、現実の社会に巻き込まれ、自然の声が聞こえなくなる。>という話を本で読んだ事があります。小学5年生の秋にココに引越して来て以来、娘は一度も鳥を拾らってきません。  

      
[PR]
# by peace3126 | 2008-08-15 16:19 | INFORMATION(伝えたいこと)

INFORMATION 1

INFORMATION  1
ピース ピース ピース

ピース ピース ピース と言う店名の由来をよくきかれます。
“どうして3回も繰り返しているの?”とも…
”peace peace peace“という題の野鳥の写真集が家にあったので…“と私は答えていました。ところが、その写真集の題に深い意味があり、またその意味が偶然にも私の遠い記憶とつながっていたのです。
モノクロTVのワンシーンで、大柄の老人が手を振り上げ、鳥が羽ばたくような動作をして、その後チェロを弾きます。あれはなんだったのだろう?私はそう思いながらそのシーンを忘れられずにいました。

不世出のチェロリスト、スペイン・カタルーニャ生まれのパブロ・カザルスは、内戦の絶えなかった祖国と、世界のために終生、平和を求めた。
1971年国連本部のコンサートでカザルスは、自ら作曲した“国連賛歌”の初演奏の指揮をつとめたあと、ホールの聴衆に向かって語り始めた。
“私にとって平和は、いつも最も大きい関心事です。私は長年、皆さんの前で、チェロの演奏をしていません。けれども、今日は、弾かなければなりません。カタルーニャの民謡<鳥の歌>です。空に舞い上がる鳥たちは、ピース(平和)ピースピースとさえずります。バッハもベートーベンも、他の偉大な音楽家も、この曲をたたえ、愛したでしょう。わが祖国カタルーニャの魂だからです。” “国連での”平和演説”といわれるものだ。    
 カザルス、94歳。右手を下から振り上げて、ピースピースピースと叫ぶ姿が印象的で、心を込めて“鳥の歌”の演奏を始める。テレビ中継されたこともあり、平和への一途な思いと、憂いのある“鳥の歌”は、世界の人たちに感銘を与えた。

 1971年というと、私がまだ5歳の時です。深い意味も知らずに、記憶の中に刻まれたワンシーン。そして店を始めてから、お客さまから“平和演説”の話を聞き、その偶然に驚いたのです。その後、友人が実家から送ってきた荷物の詰め物として、使われていたクシャクシャの新聞紙を私にくれました。その新聞の記事は、まさしく、カザルスの“平和演説”でした。単なる偶然ではなかったのかもしれませんね。                         
[PR]
# by peace3126 | 2008-08-15 16:14 | INFORMATION(伝えたいこと)