2009年 06月 07日
ピースというバラがあるのをご存知ですか?
第二次世界大戦末期の1945年、米国サンフランシスコ。国連発足に向け会議場に集まった50ヶ国の政府代表達は、輝くようなバラたちに迎えられた。
直径15センチ、淡いピンクが混じった「巨大輪」。加えて、戦争終結の願いを込めたネーミング。20世紀を代表する名花はこうして国際舞台に登場し、世界のベストセラーローズにのぼり詰める。
「ピース」・・・誰が作り、名づけたのでしょうか?
「ピース」はサンフランシスコ会議の6年前、フランスのリヨンで誕生しました。ナチスドイツがフランスに攻め入り、第二次世界大戦が始まった年です。
育種者はフランシス・メイアン(当時27歳 1912~1958)。自信作だったのでしょう。当時の多くの育種者と同じように、母親に捧げ「マダム・アントワーヌ・メイアン」と名づけて、戦時下売り出しました。
三年後の秋、ドイツ軍が迫る中、「米国にも広めたい。」と彼は芽接用の小枝数本を友人の販売業者ロバート・バイル氏に送りました。郵便網は寸断されていたので、帰国する知り合いの米国領事に託しました。ドイツによる南フランス占領の前日のことです。
なんとか米国に届いた小枝はバイル氏によって増やされ、1945年4月末カリフォルニア州バサデナでの「太平洋バラ協会展」で新品種として登場。話題をさらいます。ちょうどその時、会場に「ベルリン陥落。休戦へ。」のニュースが届きました。「ピース」・・・それがこのバラの運命だったかのように名前が決まりました。
「ピース」はその後も1951年のサンフランシスコ対日講和条約調印の席上に飾るなど、歴史的場面に立会い、バラそのものに「平和の象徴」のイメージを植えつけました。
「ピース」には第一の名「マダム・アントワーム・メイアン」の他にも、二つの名前があります。
ドイツでは「グロリア・ディ」(栄光の賛歌)。イタリアでは「ジョイア」(歓喜)。
敗戦国では、勝戦国が付けた名前では売りにくいと、現地の販売会社が別の名を考えたそうです。
「ピース」と名づけたこの花が人々の心を動かし、世界にかつて無い平和がもたらされますように
米国バラ協会
巨大輪の始祖である「ピース」は、これまでに世界中で5000万本以上が販売されました。交配種としても優秀で、世界中の作出家たちが品種改良に利用し、その子孫は「ピースファミリー」と呼ばれる名花群を形成しています。
by peace3126
| 2009-06-07 08:38
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